こんにちは、黒羽です。

前回、
いわき市の赤飯2100食廃棄の件についてお話ししました。

今回はその続きです。

この問題を見ていて、
僕が一番引っかかったポイントがあります。

それは、

「クレームを入れた人は、本当に廃棄してほしかったのか?」

という点です。

本当に求めていたのは何だったのか

報道を見る限り、

その電話は

「強く中止を求めるクレーム」

ではなかったとも言われています。

むしろ、

「来年以降は配慮してほしい」

そういうニュアンスだった可能性もあります。

だとしたら、

本来やるべきことは何だったのか。

それはシンプルで、

「どうして欲しいのか確認すること」

だったのではないでしょうか。

・今すぐやめてほしいのか
・今後の話なのか
・ただ意見として伝えたかったのか

ここを聞かずに、

上の判断だけで

全廃棄

という結論になった。

これが大きな違和感です。

本当にそれが“最善”だったのか

もしその場で、

・別メニューを選べるようにする
・説明をつけて提供する
・希望者だけにする

いろんな選択肢があったはずです。

それなのに、

ゼロか100かの判断

になってしまった。

これって、

かなりもったいないですよね。

もったいないという感覚

2100食。

これ、普通に考えて

とんでもない量です。

僕は正直、

もったいない

としか思えません。

日本は、

食べ物があふれている国です。

だからこそ、

こういう判断ができてしまうのかもしれません。

でも、

もしこれが

紛争地域や貧しい国だったらどうか。

食べ物を廃棄するなんて、

まずあり得ません。

むしろ、

その時点で大きな問題になるはずです。

正義は一つではない

今回の問題は、

「正しい・間違い」

で片付けられるものではありません。

なぜなら、

人それぞれに正義があるからです。

・震災の日は慎むべき
・それでも卒業は祝うべき

どちらも正義です。

宗教でも
国でも
価値観でも

同じです。

人はそれぞれ、

「これが正しい」

と思って生きています。

なぜ争いはなくならないのか

結局、

戦争や争いがなくならないのも、

正義がぶつかるからです。

・国の正義
・宗教の正義
・個人の正義

どれも正しいと思っている。

だから譲れない。

今回の赤飯の問題も、

スケールは違いますが、

同じ構造です。

大事なのは“対話”

だからこそ必要なのは、

一方的な判断ではなく、

対話です。

・どう感じているのか
・何を望んでいるのか
・どこまでが許容できるのか

これを確認せずに、

誰かの正義だけで決めると、

必ず歪みが出ます。

最後に

今回の赤飯の件。

あなたはどう思いますか?

・廃棄は仕方なかったのか
・やりすぎだったのか
・別の方法があったのか

正解は一つではありません。

ただ一つ言えるのは、

価値観は人それぞれ違う

ということです。

だからこそ、

決めつけるのではなく、

考えることが大事だと思います。

この問題、
意外と自分の仕事や日常にもつながっている話です。

ぜひ一度、

自分の中でも考えてみてください。